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アメリカの金融機関は、サブプライム問題発生後、昨年末までに約十五万人の人員の首を切り、今年もまた十五万?二十万人の首切りを行うと伝えられている。 アメリカの金融機関が抱えた不良債権は、最新情報で一兆三千億ドル(約百三十八兆円)に上っている。
段損した資本金の補填も、そろそろ限界にきている。 ベァー・スターンズやリーマン・ブラザーズが潰れ、一つの時代が終わりを告げようとしている。
それはまた「一つの資本主義」の終駕の到来を意味していると思う。 これまでの資本主義、そう「強欲化した資本主義」は一部の人たちが巨大な富を形成し、一方で大多数の人々が搾取される仕組みと化した。
そうした「強欲の仕組み」が崩壊しつつある。 当面世界経済は縮小せざるを得ず、誰もが苦しい困難な時代を迎えよう。
その後に、万人を幸福にする経済社会を築く仕組みを新たに考え出さなければならない。 その基本的な価値観は、「稼ぐ前に借りた金で消費する」といった節度無きものではもちろんなく、また一攫千金を夢見るギャンブラー」のような生き方でもない。
現在一般の人々(普通の勤労者やその家族)が見直しているのは、日本では「勤労を重んじ、信用を旨とする」ような伝統的な価値観に添ったものであり、またアメリカでは物欲から解放され、「真、善、美を追求する」建国時のアメリカ人が持っていたキリスト教精神の真髄のようなものになるのではなかろうか。 いま世界経済は、人々の価値観の大きな転換期にさしかかっているのだと実感している。
投資銀行の歴史一九七五年に大学を卒業した私は、住友銀行(現三井住友銀行)に入行した。 二年ほど国内支店で研修し、その後一年ほどブラジルの大学に学び、成長期にある国家の国づくりを肌で知る貴重な体験をして帰国した。
日本に戻ってからは、国際業務部に配属されたが、やがてこの部署は国際投融資部と名称が変わる。 その英語名が「マーチャント・バンキング部」となった。

名刺にこの英語名が記されたとき、「これで僕もマーチャント・バンカーだ」と胸を張ったものだった。 実は、若い頃私は、「マーチャント・バンカー」(投資銀行家/アメリカでは「インベストメント・バンカー」と呼ばれる)といわれる職業に就くことにたいへん憧れていた。
その頃のマーチャント・バンクの姿については後述するが、簡単に言えば、小口の個人預金や住宅ローンなどは取り扱わず、国や地方自治体、大手企業、個人の資産家などを対象に、銀行業務や証券発行の仲介、引一受、M&Aの仲介、アドバイス業務、投資顧問業務などを行う事業取引専門の金融機関を指す。 住友銀行に入った理由の一つも、当時の同行には「住友ファイナンス・インターナショナル」というロンドン現地法人のマーチャント・バンクがあり、こうした職場に派遣されることが夢だったからだ。
もっとも、当時の日本では「投資銀行家」と言っても、殆ど馴染みはない。 どんな職業で、いったい何をする人なのかを分かる人はほとんど居なかった。
その当時の投資銀行は、商業銀行に比べればはるかに小さな資本金で、行員の数も少なく、また未公開の会社が多かった。 しかし、知恵と人脈で稼ぐ投資銀行家たちは、事業金融の部門では商業銀行に比べて遥かに大きな力と存在感を持っていた。
彼らは総じて規模の小さな組織で、バランス・シートも極めて小さかった。 このため資本金をあまり必要としないアドバイザリー業務に精を出し、証券業務は基本的には売り切ってしまう引き受け業務に特化して、引き受けた証券を自ら抱え込むことはしなかった。
一方、資産運用業務に注力している投資銀行は、特にヨーロッパ系に多かったが、自分で引き受けたものを顧客の預かり資産で購入することも多かった。 当時、ロンドンで活躍していたマーチャント・バンクには、SGウォーバーグ、J・ヘンリー・シュローダー、ベアリング・ブラザース、モルガン・グレンフェル、クラインウオート・ベンソン、ハンブロス、カウンティー・バンク、ヒル・サミュエル、NMロスチャイルド、ラザード・ブラザース、ホワイトウエルドなどがあった。
ヨーロッパ系のマーチャント・バンクの歴史は古く、十八世紀後半ごろまでさかのぼれる。 当時、世界各地に植民地を持っていたイギリスは、外国との活発な交易に際して、国際銀行業務のノウハウが必要になっていた。
そこに登場したのが、ドイツやオランダなどヨーロッパからイギリスに移民していたベアリング、ロスチャイルド、ウォーバーグ、シュローダーなどの商人たちである。 彼らは、さまざまな商品を扱って外国貿易を行っていたが、やがて為替なども含めた金融業務を手がけるようになった。

国際感覚と海外との情報ネットワークを身につけていた彼らは、そのノウハウにさらに磨きをかけて、国際銀行業務の仕組みを作りあげる。 それがマーチャント・バンクという形になっていった。
そして、大英帝国の繁栄を商社として、また銀行として金融面から助けたのである。 彼らの存在は、日本にとっても無縁ではなかった。
百年以上も前に、すでに深いかかわりを持っていた。 日露戦争の戦費調達である。
当時、日本は大国ロシアとの戦いに備えて、国家予算に匹敵する巨額の資金を必要としていた。 明治も後期にさしかかって、目立った産業もさほどなく、まだまだ貧しかった日本にそんな大金はなく、外債発行による調達が不可避だった。
マーチャント・バンクは、邦銀も手本にしたシティそれから七十年あまり後の一九七○年代の東京には、ロンドンから派遣されたバンカーが一人か二人の小さな駐在員事務所を開いている程度だった。 しかし、日系企業のユーロ債の引室受けなどは、ほぼ独占していた。
社員のほとんどはオックスフォードやケンブリッジといった名門校出身で、教養も深く、尊敬できるバンカーが多かった。 なかには「サー」「ロード」といった称号を持つ「イギリス貴族」もいた。
当時、私は仕事上の付き合いを必死になってこなしたが、小さなマンション住まいの一銀行員である私と彼らの間には、越えられない格差を感じたものである。 まだ発展途上にあった邦銀は、これらのマーチャント・バンクと合弁会社を創ることによって、欧米の最新の証券業務を学んだ。

住友ホワイトウェルド、富士クラインウオート・ベンソン、三和ベァリングス、三井ハンブロス、東海協和モルガン・グレンフェルとそんな日本政府のために外債発行を引き受けている。 このほかに彼らは、アメリカの西部開拓史における鉄道建設のファイナンスを引き受けたといった、輝かしい歴史を持っていた。
これらのマーチャント・バンクの最大手は、SGウォーバーグだったと言える。 といってもせいぜい二百人の所帯である。
そんな小所帯にもかかわらず、シティで圧倒的な力を持っていた。 私のその頃の夢は「SGウォーバーグのようなマーチャント・バンクを東京に創りたい」というもので、それがやがてゴールドマン・サックスに転職することに繋がった。
金融ビッグバンでマーチャント・バンクが消滅ウォール街に目を向けてみよう。 そのころの大手投資銀行にはモルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックス、ソロモン・ブラザース、ファースト・ボストン、スミス・バーニー、リーマン・ブラザーズ・クーン・ローブ、メリルリンチなどがあった。

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